
※중앙일보연재 - 외국인이 반한 한국 제48편 원문으로 보기(Japanese)
私の韓国愛
初めてのソウルは1995年の秋。秋夕の準備で街が賑わう頃、アメリカで知り合った友人である李準圭先生を訪ねての韓国旅行でした。初めての一人での外国旅行でもありましたが、日本とそっくりのソウルの街、何の不安もなく歩くことができました。「治安が良く、人々が親切で食事も美味しく、安全に旅行できる面白い国」というのが韓国の第一印象。「一目惚れ」とはこの事です。唯一、大きく違うのがハングル。街や駅の表示、看板、食堂のメニュー。当然ですが、皆ハングル。この文字が読めればもっと楽しくなるだろうと考え、旅行の後すぐに韓国語の勉強を開始しました。
95年には9月と11月の2回でしたが、翌96年にはソウルに宿泊して議政府と水原へ行ってみました。少しハングルが読めて、少し韓国語ができれば自由自在に歩けることに気づいたのがこの頃です。97年には初めての遠出で群山、全州、大田などへ行き、ソウル以外の普通の韓国の面白さを知りました。98年には初の国内線で麗水。麗水に泊まって翌日は筏橋から楽安邑城民俗村経由で、木浦泊。次の日は儒達山に登ってから湖南線セマウル号でソウルへ戻る、そんな旅行をするようになりました。
韓国の田舎の景色は日本とそっくり。平坦な土地はみな水田。日本ではあまり見られない唐辛子と高麗人参の畑が目立つ他は、農作物もほぼ一緒。果物の畑も大体一緒です。違うのは…やはり看板がハングルであることと田舎の町にもアパートがあること、それくらいでした。過去には「近いけど遠い国」という言葉もありましたが、「近くてよく似ていて、でも、少しだけ違うところが面白い」私にとっての韓国はまさにそういう国です。飛鳥時代、日本へ色々な文化、技術が韓国の百済、新羅などから伝来しました。日本に住み着いた百済人もたくさんいたはず。私の祖先は百済人だったのではないかと思うほど韓国の風土、食事、そして人間が肌に合うのです。ソウルに着くと故郷に帰ってきたような感じがする国、それが韓国。もしかしたら私は百済系日本人なのかなぁと思うほど韓国の全部が好きになり、休みが3日以上あれば韓国へ旅行する。そんなふうになりました。90年代末からは大体2カ月に1回以上。多い年には8回訪問したこともあり、この16年間で100回近い韓国旅行をしています。
最初に韓国を好きになった契機の一つである親友の李準圭先生の出身地は全北南原。ソウルで私が知り合った韓国人の友人も、なぜか全羅道出身の方が多いのです。また、歯科開業医という仕事上、長い休みは作れません。そんな訳でソウルから行きやすい韓半島の西半分、忠南、全北、全南方面への旅行が多くなりました。前記のようになんとなく自分に百済の血が流れているような気がすることもあり、やはり全羅道への旅行が思い出深く感じられます。一度行った場所も、再度訪問してみるとさらに楽しい、そんな旅行。少し前の冬の全州、南原行きを紹介してみましょう。
新潟を朝に出た飛行機は仁川空港には12時前に到着。急いで入国、税関通過の後、全州行きのリムジンバスに乗車。16時過ぎには全州に行けます。地方都市に着いたらまず宿を決定。大抵はターミナル周辺にきっとあるモテルです。その後は大きなカバンを部屋に置いて町を歩いて、その土地らしい食事をします。全州は何回も行っていますので、観光名所は大体見ています。食事も全州ビビムパッpもコンナムルクッパp等は食べていますので、豊南門のあたりや南部市場を歩いて、夕食には初めての「ピスンデ」、美味しかったです。その後は全州川に沿った道を散策してモテルへ戻りました。
2日目はバスでとも思いましたが、全羅線の全州から救礼口の間は乗ったことがないので、全州駅から朝の汽車で南原へ。新しく郊外に移転した南原駅に驚きつつタクシーで南原市外バスターミナル。南原の名所、広寒楼は前に行ったことがありますので、バスで「フンブとノルブ」の童話の舞台だったという高原の町、雲峰邑へ向かいました。目的地は雲峰邑花水里の荒山大捷碑です。
日帝時代末期に日本が戦争に負けた記念碑などよくないということで破壊されてしまった石碑です。ちょうど邑事務所のそばにいたタクシーの技士さんに石碑の見学と、帰りは南原の町までと交渉して行きました。新しく作られた碑と、「破碑閣」というお堂に納められた壊された碑を見て黙礼。車に戻りました。 他国の大事な文化財を壊してしまった事、日本人として本当に申し訳なく思う事実です。
次の目的地は南原の町の「万人義塚」でした。こちらも行きたかった場所です。数年前、李準圭先生とそのご友人が来日された時、京都と大阪を案内したことがあります。最初に行かれたのは京都の「耳塚」。イムジン・チョンユ倭乱の時にこの南原城でもたくさんの朝鮮の一般人が殺された。その人たちの耳や鼻を切り落として塩漬けにして戦功の証明として日本に送ったものを収めた塚。南原出身の李準圭先生が韓国から持参された酒を供えて参拝されたのを見て、私も万人義塚へ行かないとと考えていたのです。駐車場から階段を何段も上って、いくつも門をくぐって行った万人義塚。秋の青空の下、とても美しく見えました。お堂に参拝、芳名録に記帳してタクシーに戻り、ターミナルへ。昼食には美味しいテンジャンチゲを食べてソウルへバスで戻ったのでした。
2002年韓日ワールドカップの頃から「韓流」を経て韓国に関心を持ち、韓国語を学ぶ日本人は激増しています。最初は観光名所や買い物でもいいけれど、韓国語を学び、韓国についてもっと深く知れば韓国旅行はもっともっと楽しくなる、そんなことを日本の多くの人に伝えたくて「普通の韓国を探して」というタイトルの医院ブログを書いています。普通の日本人と普通の韓国人の交流が増えれば、この2つの国、絶対もっと仲良くなれると思います。